re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:*** 投稿日:2019/01/10(Thu) 01:23 No.25

3-1;洲山喜久江「やさしいことは深いこと1、2年生たし算」・小1・2(山口)元掲載『生活教育』201704号

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re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/01/16(Wed) 09:23 No.55

(研究者はこんなことを考えて読みます(^^;)難しいでしょ)
 この洲山実践は、世界の算数・数学教育の実践史に残していくように議論・評価していくべき価値ある実践だ。
 他の数学系研究会や学会ではおそらくあっさりスルーされるか否定されかねない、次元の違うものである。
 足せるものは、同じカテゴリー・種類のものである(その前提として数えられるもの)。りんご2個とみかん1個が足せるのは、〈果物〉だからだ。果物、というとらえ方は、客観的に見える。ところが洲山さんはここで〈自分のもの(所有)〉という主観的な観点を導入する。りんご2個とみかん1個は、自分のものだから足せる、ということなのだ!
 ここでは自分の生活のことが抽象(捨象)されることなく(客観的なよそよそしさを持たないまま)、個性的な自分にとってのりんご、が語り合える。算数の問題が、自分の問題になっている。その問題を扱う必然性や当事者性があると同時に、その子どもの生活や人生が語られ、子ども理会にそのままなっている。
 所有は、いまの社会を考えるときの出発点になるので(ヘーゲル)、このあと算数や数学からはなれて発展していくのかもしれないし、所有的にあつかった段階を置いたからこそそこから離れて客観化していけるのかもしれない。所有する主体(自我)を考えれば、自我の発達との対応もみえてくる(哲学を学んでいる人だと、カントの純粋統覚などを思い浮かべている)。実践での検証を待ちたい。
 さらに言えば、〈果物〉というのも、人間が意味づけ(意味付与)している〈主観的〉なもので、数学そのものが、人間が意味づけ、つくりだし、発展させている文化(ルール含む)なのだ。そういう自覚も子どもたちは経験できる(算数って「完成品」を学ばされるのでなく、造りだし、造りかえていく文化活動に参加していくこと)。日生連の定番の学級文化活動で、学級内にサークル・クラブをつくる、というのがあるが、「算数の授業」もその一種というわけです。
 また、生活教育では、能力を便宜的にもの・ひと・ことという対象との区別で考えている。洲山実践では、この3つが融合している。算数ということを学ぶことそのものが子ども理会になっている。(長くてすみません。)


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/01/16(Wed) 22:53 No.56

「りんご2個とみかん1個は、自分のものだから足せる、ということなのだ!」
 …と思わず書いてしまいましたが、洲山実践では、同じカテゴリーのものを扱っています。それに「自分の」をつけているわけです。同じカテゴリーのもので「わざと」やっているところがすばらしい工夫です。
 結果としてこれまでと同じことをしているのですが、自我の関与を支えとして入れている(子どもから取り上げない)形です。
 渡辺恵津子さんもウサギとにんじんは足せない、としています。
 もっと先の段階では、「ウサギとにんじんを足せるようにするにはどうすればいいですか」です。
 影にして影を数えるとか、皿に入れて皿を数えるとか、、、。
 「助数詞」は、「支え」の文化ではありますが、一方制約でもあります。数教協の方が、幼稚園では助数詞を使わないでわざと「1、2…」と言って抽象に慣れさせるべきだ、と主張されていて驚いたことがあります。助数詞も創造されるべきで、自分のものを数えるときは、1オレーノ、2オレーノ、ではいかがでしょうか。
 ウサギ2羽とにんじん5本は、7オレーノ。


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/01/19(Sat) 02:15 No.59

(3)さて、オレーノでしばらくやっていると、つまらなくなってくる。どちらがたくさんか比べようとしても、例えば1万円札なら1オレーノだが、1円玉にくずしていれば10000オレーノになる。また持っているものの内容が捨象されるので、自慢したいものが自慢できない。
 そうなると、ウサギとにんじんをオレーノで足そうとする〈ルール〉はつまらなくなってくる。ウサギとにんじんは足せない、というルールの方が、発展性があり、おもしろい。
 つまり、ウサギとにんじんを足す、というルールは
まちがい
 ではなく、
採用しない方がよい、ということになる。
 ウサギとにんじんは足せない、算数の方が、どんどんおもしろくなっていくのだ。
 大阪集会でも話題になった、1/2+1/3だが、
 分母どうし、分子どうしを通分せず足して、
2/5
 とするのは
まちがい、とされる。
 分母どうし、分子どうしを通分せず足すルールはありえるだろうか。
 例えば、分母を自治体の人口、分子を女性の人数とすれば、分母どうし、分子どうし足すことで意味が出る。
 ところが、引き算だとあやしくなり、かけ算だともはやわけがわからなくなる。計算上は数値が出るわけだが、その意味がなくなる。
 つまり、
2/5
 とするのは、
まちがい
 ではなく、
今そのルールは採用しない、採用してもつまらない、ということだ。
 正解とまちがいがあるのでなく、どんなルールを採用するか、であり、数学という文化は、発展性があり、意味があり、おもしろいルールが採用され、ある時点で集大成されたものだといえる。


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/01/29(Tue) 00:21 No.60

(4)
今教科そのものについて学習指導要領等をめぐってホットなテーマは3つ。
  @教科の本質=「見方・考え方」は?
  A活動・体験からの「抽象化」は?
  B非認知(的)能力=「学びに向かう力」

 @Aについて、生活教育の考え方は洲山実践にヒントがたくさんありました。
 Bですが、ことばとして「非認知能力」は学習指導要領、幼稚園教育要領には入りませんでしたが、「学びに向かう力」が対応するそうです。学びと、それと切り離して学びに向かう力とすると、まずちゃんと机に座る、勉強道具を揃える、のようなものになりかねない危険があります。
 洲山実践では、学びの本質のなかに「自分のもの」という当事者性、興味を持ち込めています。
 これまでの教科の研究では、「人け(ひとけ)」の研究がつながりそうです。「人け」は「人気」と書くと「にんき」になってしまうので、人の気配、のような意味です。これは山崎雄介さんの指摘で知りましたが、細谷純さんが提唱したようです。
 科学的知識を教える際にも、「人け」を残すとわかりやすいそうです。
 さて、所有という「人け」は、足し算だと自分のものが増えてよい気分なのですが、引き算となるとどうか。
 洲山さんが引き算をどう教えているのか気になります。
 引き算はわりと「悲しい」話が多い。
 友だちが帰っていなくなったり、大好きなチョコレートが残り少なくなっていきます。そうすると、「引きたくない」気持ちがおこるのではないでしょうか。
 幼稚園保育園で絵本の世界にどっぷりつかれた子どもほど、算数の問題に物語をゆたかに読み取ってしまい、場合によったら解きたくなくなるかもしれません。
 引き算は、引いたものがなくなって見えなくなるのがとても難しい。渡辺恵津子さんは、チョコレートだと包み紙を置いて、「確かに存在した形跡」を目に見える形で残します。しかし、包み紙だけじーっと見ているとなんだか悲しくなってきませんか。
 そうすると、その子の想像力をふくらます言葉かけが必要になる。帰ったお友だちはどうなるんだろう、あ、家に帰って、「ただいまー」が家族と足し算なのか。食べちゃったチョコレートは、どうなってほしいんだろう・・・。
 ふつうは、そういう「疑問」は押さえ込まれます。「帰ってどうするかは関係ないの!」…しょぼん。
 洲山実践の方向だと、所有から入って、計算が複雑になるにつれ、より深い子ども理会を並行させていくのが教材研究となります。
 そして「自分の」という世界から入って、だんだん「相手の」「どこかのだれかの」・・・と世界が広がって、客観的な世界にジャンプできるのかもしれません。「自分の」という入り方を双葉に例えると、客観的な問題にとりくめる本葉が出てきたとき、そっと消えていくのかもしれません。どうなんでしょうか。


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/01/29(Tue) 00:54 No.61

 北の星の「泥・水・砂あそび」実践(2月号、30ページ)では、水を流すチームと止めるチーム。
 水を流すために、水を、バケツを増やしていきます(足し算!)
 負けるもんかとダムに、土、バケツ、板を足していきます。
 多い方が勝つようだ!…求差!!!
 負けそうだからこっちに1人来てくれ(足し算!)
 ・・・あ、1人仲間が減った(引き算!)
 俺が行くぜ! 1人引き算…でも相手チームに+1だっ!
 ・・・・迫真の足し算・引き算…の経験。
 ある種の均衡を図ろうとしていることは、足し算引き算の次を用意している。
 ああこういうのが「数学的活動」(の基礎)なのでは。
 板をどこからともなく持ってくる力もすごい。
 32-8を筆算でするとき、2から8は引けない!
 どこかから持って来れないか!!!!!おおー10の位に3!


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/01/29(Tue) 00:55 No.62

難しいのでなく…深い…
やさしいことも深い…ですね(^^)/


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/02/11(Mon) 20:24 No.63

 2歳になるころ、自我の拡大期に入る。このときは、何でも自分のものにしようとするので、わがままにみえたり、自分のものにするのを遮ると「反発」したりする。これは、自我の拡大をベースに、足し算の経験の根っこになっているように思える。
 半年ほどたつと、自我の充実期に入る。
 この時期では、自分が人のものと決めたものは最後まで手をつけず、自分のものを分け与えることができる。自我の拡大があったからこそ、他者(の所有)を承認できるほど強い自我になっている。
 拡大期の〈わがまま〉に比べて、〈崇高さ〉を感じるほどしっかりした自我に成長してくる。
 ここは、引き算の発達的根っこになっていないか。自分のものが減る(=他者に分け与える)ことが、さびしいことではなく、むしろ誇りと感じられる。
 自分のものを他者の所有にできること、それが引き算の発達的根っこのように思えるがいかがでしょうか。


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:加藤聡一 投稿日:2019/02/11(Mon) 20:35 No.64

 幼保だと、その年齢での発達的特徴をつかむことを子ども理会の基本としているが、小学校ではなかなかその学年の発達的特徴をつかむ発想自体が弱いように感じている。
 2年生からは「もっと数字を増やして作りたいという希望」がでる(p.149)が、これをどうとらえたらよいのだろうか。
 1年生にとっての足し算と2年生にとっての足し算が発達的にちがう意味を持つとしたら、2年生なりの足し算とはどういうものなのだろうか。


re: 3-1;洲山「1、2年生 たし算」・小1・2 投稿者:スーパーコピー財布バッグ 投稿日:2020/05/20(Wed) 05:42 No.110

丁寧な梱包で満足しました。
カードも添えてあり、商品や顧客にたいしても丁寧なショップだと
おもいます。
また購入したくなるショップです。
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