日本生活教育連盟第71回夏季全国研究集会愛知集会2019基調報告(案)


今こそ子どもの真実にむきあい、主体者として育てる
  ─世代をつなぎ、他者とつながり、希望をつむいで、学校・地域・社会を生きる─

日本生活教育連盟 研究部

 ※『生活教育』8月号掲載pdf版


1 はじめに
 「子どもを何よりも尊重せよ、……そしてあなた自身をも尊重せよ」──これはデューイが引いたアメリカの詩人エマソンの言葉である。虐待死や交通事故死のニュースが続く。子どもは尊重されているか。子どもを主体として尊重するには、私たちも主体者として生きなくてはならない。「スタンダード」で息苦しくなり、保育・教育を「こなさ」ざるをえなくなってくる日常の中で、自分を尊重するのは難しい。だが、この一年、子ども・青年・仲間の笑顔にたくさん出会えている。夏季集会ではそこから希望をつかみとりたい。
 基調報告案は、研究部による一年間の研究のまとめであり、現在の研究課題の方向を提案する。日生連の特徴の一つは、主張に実践の裏づけがあること、また主張を検証し、裏づける実践を生み出していくところにある。研究の方向は、基本的には、『生活教育』の「研究部/ともにつくる生活教育の実践」への「研究部コメント」で表明している。今回は、あえて実践例を出さないで、また10年をふり返って研究の方向を提案する。どの実践が根拠になっているか、『生活教育』などを読み返し、例会やメーリングリスト、この夏季集会での議論が活発になることを期待する。


2 生活教育の必要性・必然性
 〈必要〉とは、石川啄木が「時代閉塞の現状」(1910年)で提起した考え方である。私たちが多様な実践をくぐって明らかにしてきた〈原理・原則〉のさらに深いところに、その必要性・必然性を見出していきたい。
 ルソーは『エミール』で、
「教育は、自然か人間か事物によってあたえられる。わたしたちの能力と器官の内部的発展は自然の教育である。……この三とおりの教育のなかで、自然の教育はわたしたちの力ではどうすることもできない。……完全な教育には三つの教育の一致が必要なのだから、わたしたちの力ではどうすることもできないものにほかの二つを一致させなければならない」と述べ、〈内なる自然(発達)〉を必要として把握し、それに〈ひと・もの〉をあわせていくこと(環境構成)を提起した。
 また、梅根悟は、
「今日われわれに迫っている社会生活上の問題は、すでにこのような部分的思考では解決されない。われわれの社会は資源の総合開発計画を必要としており、政治と経済とそして道徳との、総合的・関連的な改革を必要としている。われわれの社会がいま必要としているのは、……一人一人の民衆の計画的知性の開発を支柱として、はじめて内面的な裏づけを得つつ達成されるものである。……現代における問題解決学習は、……専門科学的な知的問題の解決のための思考とともに、それの出発点であり、かつ帰着点であるところの、具体的な生活問題の総合科学的解決の訓練を重視しなければならない。ここに問題解決的思考の、教育の中核としての総合的問題解決学習の、社会的必然性がある」(『問題解決学習』)と述べ、社会やカリキュラムの必然性を明らかにしようとしていた。
 さらにこれを根拠として、
「新しい教育では、父兄や社会人がただ父兄会や委員会で意見をのべるだけでなく、子どもの指導そのものに協力するという形をとることになる」「社会の人々がみんなで学校を作り、みんなでその教育の方針や内容を考え、そしてみんなで教育する。教師はその全体を通じての世話役であり、進行係であるというような、新しい教育方式」を考え、それを「真に新しい、民主的教育」としている。この社会を〈長幼一体社会〉、そこでの学校を「長幼一体の生活学校」としている(『新教育への道』)。これは大人をも尊重しているあり方ではないだろうか。デューイ『民主主義と教育』も「教育の必要性」からはじまり、世代の更新が教育の必要だとしている。
 尊重されるべき人間のあり方の必要・必然は、個人において発達、社会において民主主義、カリキュラムにおいて総合化・生活化ととらえられる。


3 この10年の研究課題とその方向性
 この10年を振り返りつつ、研究課題を考えてみよう。10年前、2009年沖縄集会のテーマは「ともに生き、いのち輝く学びを結んで広げる」、2010年大阪集会は、「今を子どもとともに生きる─なかまとつながりいのち輝く学びを」であった。ここでのキーワードをみてわかるように、21世紀が始まって10年の段階であらためて子どもの〈いのち〉を大切にしながら、〈ともに〉どう〈生きる〉か、またそこに〈学ぶ〉ことをしっかり位置づけることを重視していた。また、生活や教育のあり方を〈つながり〉という言葉で多様につかみ、新自由主義などによる様々な分断や孤立、格差の問題に挑んでおり、大阪集会の基調報告案では、「今こそ生活教育の実践を語り、書き、分析し、学び、広げよう─《つながり》を深め豊かにして《ひとつながり》のものを発見しつくりだそう─」と提起した。
 翌年2011年の愛知集会は、3月の東日本大震災のあとに行われた。大震災の経験を消化しきれない・受けとめきれない状態でも、上に述べた問題意識からさらにすすんで、学校や社会全体をなんとかして根底からとらえ直さなければならない切実さを加えることになった。基調報告案のテーマは、「ほんとうは資源のある日本で資源を活かした生活教育を─《ひとつながり》の〈教育実践と教育課程と地域計画〉を構想して実現への一歩をふみだそう─」で、子ども観を土台に、教室、学校、地域、社会のそれぞれのレベル、そしてその〈つながり〉によって、一つひとつの教育実践の意味を総合的全体的な視点から考えることを提起した。津波と原子力発電所の爆発という前代未聞の問題に直面し、原子力を通したエネルギー問題、それを推進する経済・政治・社会体制、教育体制に目が行って、地域で〈資源〉を見つける方向を強調した。あわせて、「地域再生」とつながった教育課程を自前でつくることを提起した。コア連発足以来の「カリキュラム」への注目を呼びかけた。
 集会当日、徳水博志氏による震災直後の地域復興の実践報告(震災の状況報告ではない)と、植田健男氏による教育課程そのものの研究の意義と歴史、それをつくりだす実践の緊急性についての講演によって、基調案の「ふみだそう」という提起が、実践と理論の一歩の歩き出しによってその場ですぐ応えられた。徳水報告で、生きている意味、生きて暮らす仲間や場所がある意味などに向き合うとともに、学力テストの実施や学校統廃合を最優先にするあり方、実態や住民の議論とかみ合わない巨額の公共事業の押しつけなど、資本主義や国家主義は惨事に便乗する(ショックドクトリン)冷酷な現実をいちはやく共有できた。復興の教育課程が提案された。
 集会テーマは、「子どもを再発見する『わたし』との出会い直し〜原則は明確に、実践は多様に」であり、研究部では、それぞれの教育実践を〈全体像〉に無理に位置づけることのないよう、まずそれぞれの実践がいっそう多様にすすめられることを通して、ゆっくり総合していくことがはかられた。同時に、未成熟で分かりにくい表現ではあったが、根本が〈子ども観〉である確信、そしてそれはたやすく確認できるものではなく教師や親など大人たちの、厳しい自己否定を覚悟したある種の〈自己変革〉がなければならないのではないかという危機意識があった。子どもをたんに教える対象、あれこれ「準備中」の未熟な存在、主体的に「育てる」対象と見るのではなく、いのちの尊さにおいて対等な存在、根源的に主体的である仲間だとの子ども理解の自覚こそが、教育実践を確かに変えていく。ここでも教師の成長を発達現実態でとらえるなら、単なる自己否定ではなく、むしろ元々持っていたが、学校教育経験の中で否定させられたものを再び否定して取り戻すような否定のしかたであり、「元々持っていた」り、学校教育経験の中でも、それをはげまし、否定をふせぐ何かがあったりしたはずで、それこそ、生活教育が歴史的・世代的にぶ厚く積み上げてきた成果であった(「伏流水」と表現されていったこと)。それは何だったのか。若い教師や学生とともに成長する道すじを模索している。
 私たちは、1945年の敗戦という現実から、日本国憲法─教育基本法という希望をつくり出し、児童憲章や子どもの権利条約なども加え、それらの理念を学校・地域・社会で実現しようとしてきた。この10年は、日生連の戦争体験のない世代にとって、その追体験に近い危機感がある。


4 この10年、この1年のたくさんの実践
 日生連は、時々の社会問題を自力で分析し、教育政策についても独自に研究して議論を広げてきた。日々、全国で教育実践が豊かに展開され、その〈つながり〉も豊かに確認・吟味されてきたが、この小さな団体、ましてや小さな研究部では、全体をカバーするのは困難である。分科会を見ても、年齢段階は、乳幼児から大学教育、教員では若手・中堅・退職後、親やその親の世代を連続しておさえているものの、分野としては、音楽分科会、自然(科学・技術・産業)分科会、異文化理解分科会は休止のままで、芸術やスポーツ(体育)、情報教育などの分科会がないのは、生活教育という全体像のピースが揃っていない感じがする。
 そのような中でも、雑誌『生活教育』で、編集部による特集の編集で実践と理論の総合化がはかられてきた。また地域サークルや分科会が『生活教育』の特集を担当するごとに、総合的なつながりが示されてきた。 『生活教育』の特集の成果は、以下の通りである。


7月号「つくろう!!子どもの願いにこたえる教育を─改訂学習指導要領のねらいと私たちの課題」
8月号「なかまとつながり、未来をひらく」 大阪サークル
9月号「今、子どもが育つ地域・家庭とは─生活の豊かさを求めて」
10月号「考えてみませんか平和教育─子どもたちに平和の文化を」
11月号「おっとどっこい!─子どもも教師も前へ」 石川サークル
12月号「特別支援教室って」
1月号「『スタンダード』は誰のため?」
2月号「人として生きるための根っこを育てる〜乳幼児期の教育」 乳幼児分科会
3月号「励まし合って一歩前進─成長し続ける若者達」 沖縄サ─クル
4月号「おだやかに、笑顔で新学期─怒らないですごしたい!」
5月号「地域テーマの総合学習をともに!」 生活科と総合学習分科会
6月号「子どもが夢中になる文化を学校・保育の場に」
7月号「つながろう!子ども、保護者、学校、地域」
8月号「子ども・親・教師がともに学び育ち合う教育の創造を」 愛知サークル


 『生活教育』編集の土壌として、地域サークルの例会や学習会、本部主催の研究会、夏季全国集会などでの実践の検討の積み上げがあり、それぞれの問題意識をまとめてきた。あわせて、個々の会員による講演や出版、大学の講義・ゼミでも、生活教育を広め、新しいつながりを 日生連にもたらしてきた。
 沖縄は、世界と日本の矛盾が集中している場、北海道は、人口が減少し、公共基盤がくずれ、再建自治体がでてくる「最前線」の場。熊本、大阪など自然災害に立ち向かう仲間もいる。地域の目で日本全体を把握するのも課題である。
 そしてこの10年の教育実践は、
『希望をつむぐ教育』に次の4つの原則・原理で総合してまとめられた。


(1)「困った」子は、「困ってる」子
(2)なかまとつながり、生活を創る
(3)易しいことは、深いこと
(4)自分が見え、世界をよみとく学び


 日生連としては、「日本社会の基本問題」のような〈めざす社会像〉、『生活教育の前進』のような〈教育課程づくりのあり方〉を具体的・総合的に示すには至っていないが、全部に手が回らない中でも、(1)のように、一番困っている子ども、弱い存在に実践が集中しているすごさの一方、(3)の教材研究・文化理解は弱いとの感想があった。


5 新学習指導要領等の方向性
 この10年、教育政策の方は、国家戦略の中に包括的体系的に位置づけられ、新しい学習指導要領等工程表通り具体化され、順次全面実施になってきている。
 世界は、トランプ、習近平、プーチンによる新ヤルタ体制のようなものが〈模索〉されているようにみえる。領土問題を背景に、「貿易戦争」がおこっている。石油産出量が、アメリカはサウジアラビアを抜いて2位になっている(1位はロシア)。経済的にも政治的にも世界的な「再編」がおこっている。
 このような状況の中で、日本では2012年12月から第2次安倍政権がずっと続いている。兵器を大量に購入するなど、トランプのアメリカ・ファーストは、日本のとほうもない「貢献」で成り立っている。安倍首相は、2020年の憲法改正を断念してはいない。憲法constitutionは、国の構成・形ということで、改正後の教育の姿はもう学習指導要領に先取りされているとも読める。
 学習指導要領作成に先立つ、「次世代の学校・地域創生プラン(馳プラン)」(文部科学省平成28年1月)では、目指す方向として、「一億総活躍社会の実現!地方創生の推進!」を掲げ、「我が国が抱える主な課題」として、

(1)高齢者人口は増大する一方で生産年齢人口は減少
(2)グローバル化の進展に伴い激しく国際環境は変化
(3)学校の抱える課題は著しく複雑化・多様化
(4)地域社会の支え合いの希薄化、家庭の孤立化


の4つを挙げている。この問題を「解決」する計画が学習指導要領等である。
 4月に小学生の保護者に配られたチラシでは、「これからの社会が、どんなに変化して予測困難になっても、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい。そして、明るい未来を、共に創っていきたい」ということが学習指導要領の「願い」とされている。
 「学びの進化」として、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)をあげ、「新たに取り組むこと、これからも重視すること」として、「プログラミング教育」「外国語教育」「道徳教育」「言語能力の育成」「理数教育」「伝統や文化に関する教育」「主権者教育」「消費者教育」「特別支援教育」を大きく書き、さらに「体験活動」「キャリア活動」「起業に関する教育」「金融教育」「防災・安全教育」「国土に関する教育」なども加えている。また、「資質・能力」を「確実に」身に付けていくという「子供」観をベースにした「社会に開かれた教育課程」の実現を、「カリキュラム・マネジメント」「地域学校協働」ではかっている。
 こんなにマルチに教育できるのかという素朴な感想に加え、「これからの社会」に、例えば「老後に2000万円不足する」社会、「アメリカが攻撃された場合日本が助ける」安全保障を考えると、それを個人でなんとかする資質・能力はどう身に付けるのだろうか。それぞれの職場・地域でどう受けとめられているかまずはつかみたい。


6 これからの10年、この1年の希望を見つける
 生活教育と言葉が同じようなものも多い。どこがちがうのだろうか。また、4つの社会問題(「我が国が抱える主な課題」)に、私たちはどう応えていくのだろうか。
 原理・原則を明確にして、その具体例としての実践を多様に、しなやかに「対置」「対抗」するのもきわめて重要だ。さらに今回は、原理・原則を、必要や必然に深めて考える方向を提案した。ここに希望を見出したい。よく「学習指導要領をのりこえる」「超える」というが、それは現時点、今の状況でどういうことなのか議論していきたい。
 子どもを将来の「労働力」商品として「育てる」にせよ、国家目的に国民を動員するにせよ、必要・必然は押さえなければならない。賃金を極限まで抑えて資本蓄積に回すのが資本主義のあり方だが、賃金を抑えすぎると購買力がなくなり、ものが売れなくなって経済が失速し、グローバルな競争に勝てなくなる。首相が経済界に「賃上げ」を要請する事態は、この矛盾の現れといえる。「働き方」は、現状を別の人の「動員」で「補う」のではなく、保育・教育のあり方の根源的な必要とつなげて考えたい。
 また国民を総動員するには、いちいち指示したり強制したりすることは大変で、「主体的に」参加する国民に育てなければならない。戦争も兵士が「主体的」に行動しなければ勝てない。言葉は同じでも、社会学でいうたやすく「回収」「調達」されていく「主体性」である。戦前の国民学校令では、この必要のため、カリキュラムの「綜合化」まで提唱された。
 学習指導要領なども矛盾物と見て、「同じような言葉」や「同じような問題提起」の二重性、多義性を丁寧に分析していきたい。必要・必然の部分は、多くの「今の学校・地域・社会をなんとか存続させたい、よくしたい」と思っている人たちとの連帯(協働)の根拠になりうる。
 一方で、同じような言葉がないところで、生活教育の研究・実践が間に合っていない部分もある。学習指導要領の「人手不足社会」対応の柱は、外国人労働者(→英語教育)と、AIやロボット導入などのIT化(→プログラミング学習)などである。これは社会全体のあり方を変える「起爆剤」にされているが、研究部でもほとんど議論できていない。ほかの団体・個人との研究的連携も課題である。希望はあちらこちらで点されている。