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 来年2016年は、京都大会です。8月6、7、8日、アヤハレイクサイドホテル(琵琶湖のほとり)です。

 ○「子どもたちから青空と太陽と未来を奪う「戦争法案」を許さない―日本生活教育連盟の声明」(2015年8月9日)→こちら 


 大会要項最新版(pdf)  20150328up+0706+0717


2015年 日本生活教育連盟第67回夏季全国研究集会

 研究主題  世代をつなぎ 他者とつながり 希望を紡ぐ 

 主催:日本生活教育連盟 第67回日生連夏季全国研究集会東京集会実行委員会

 後援:東京都教育委員会 板橋区教育委員会

 日時 2015年8月8日(土)〜8月10日(月)

 研究会場 大東文化大学(東京都板橋区)


2015基調報告案(2次案)  (『生活教育』8月号掲載は1次案)
世代をつなぎ、他者とつながり、希望を紡ぐ−東京集会へのいざない−
田村真広(研究部長)

1.戦後70年、平和を希求する集会に
 67回目の夏季全国集会が東京にて開催される。会場は、大東文化大学板橋キャンパスである。
 東京は、1944年11月以降、100回以上の空爆を体験した。1945年になってからの空爆は苛烈さをきわめ、特に死者10万人・罹災者100万人を超えた3月10日の大空襲による被害は甚大だった。板橋区域を巻き込んだ4月13日の空襲では、約2500人の犠牲者を出している。その後、沖縄での地上戦、日本各地での空襲、広島と長崎への原爆投下などを経て、日本は敗戦を迎えた。3月から8月まで、誰がいつ死んでもおかしくない毎日が続いたのである。時の権力者が、国体や既得権益を守るために、あるいは責任追及を逃れるために、国民を捨て石にしたのである。
 私たちは、惨禍を生き延びた人々によって産み落とされ、育てられた。ひとたび生き延びたとしても、戦後を迎えられなかった多くの人々がいた。10代の若者は、戦時を生き延びた人々の末裔である。戦後70年もの間、私たちは悲惨な空襲を体験することなく過ごしてきた。他国を侵すこともしなかった。惨禍を生き延びた人々による悔恨と反省、平和への誓い、復興と発展への奮闘の足跡を礎として、戦争とは無縁の「今日」が形作られてきた。互いに誇り、賞賛し、継承したい足跡である。
 しかしながら、現在国会で審議中の安全保障関連法案は、憲法の立憲主義を否定し、同盟国に付き従って現に国外で起きている戦争へ国民を巻き込み、国内での被害さえも招きかねない危険な法案である。戦後政治の大転換である「積極的平和」政策が、近隣国への不信感を煽りつつ、言論や学問の自由を奪い、教育の自立性をないがしろにするであろうことは、歴史の教訓からも明らかである。
 戦後70年の意味を今一度噛みしめたい。敗戦を10歳で迎えた方は現在80歳で、日本人男性の平均寿命に達している。彼らの願いをじかに受け取る時間は限られている。命のバトンを受け継ぎ、世界文化遺産にふさわしい非戦の哲学(憲法第9条)を世界中に広め、社会の中軸となって、晴れてめでたく「戦後80年」を迎えることが、彼らの痛切な願いに応えることになるだろう。
 戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない(ユネスコ憲章前文)。平和を希求しつつ戦争への火種を消し、新たな絆を結んで共生の文化を産み出し、未来への希望を紡ぐ東京集会を創り上げていきたい。

2.『生活教育』通巻800号の重み
 日本生活教育連盟の機関誌である『生活教育』が、2015年7月号をもって通巻800号を迎えた。会員の手による月刊雑誌でありながら、著名人や研究者、教師をはじめとする多様な実践者、保護者等を執筆陣に起用し、「ゆたかな子どもを育てる教師と父母の交流誌」として、内外に広く愛読者を保ってきた。
 『生活教育』の前身は、コア・カリキュラム連盟の機関誌として1949年1月に創刊された『カリキュラム』である。惨禍を生き延びた人々による平和への誓いと新しい自前の教育を創り出すための創刊だった。早くも1951年6月には、『カリキュラム』の別冊として『生活教育の前進』シリーズを刊行し始めた。1960年1月号には月刊『カリキュラム』を『生活教育』と改称して今日に至っている。
 1959年12月発表の「生活教育宣言」には以下のような記載がある。「歴史を動かす民衆の教育思想としての生活教育は、大胆にいうなら、人間の生活意欲、学習意欲をほりおこし、それを組織化し、それに科学性を与え、科学と生活、生産労働と学習との結合をもたらすことを基本原理とする教育思想である。それはそのまま民衆じしんのたがいに手をたずさえて、よりよく生きようとする姿であり、彼らの教育要求である。」(日本生活教育連盟編『日本の生活教育50年』より)
 生活教育とは、権力者ではなく民衆が主人公となり、共有しつつ創り出されるものである。家庭、学級、学校、地域で展開される教育を、自律的かつ自治的に営まれるような社会のあり方とともに追究してきた。これは、一人ひとりの幸福追求(憲法第13条)を保障する環境を創り出す道、とも言い換えることができる。
 権力者による政策宣伝、報道規制や流行に影響されやすいマスメディアとは異なり、民間団体の手による雑誌メディアには、独自性と固有の発信力がある。『生活教育』は、編集に際して外部の規制を受けず、人間を信頼し、生活意欲と学習意欲を掘り起こし、未来を築く教育要求を探り当て、多くの人々と共生の文化を組織するための英知を発信してきた。行く手には多くの困難が立ちはだかっているが、通巻1000号をめざして、私たちの実践と研究の足跡をありのままに書きとめ、独自性と固有の発信力を保ち続けたい。

3.世代をつなぐ
 日生連の実践者を励まし、『生活教育』の刊行に尽力された小松福三先生が逝かれた。5歳児による「でんしゃづくり」の教材化などが、大型実用造形論として注目された。また、出版社が決まらない月刊『生活教育』を、一時的に自主発行で凌ぐ決断をされた。小松先生の偉業をどのように受け継ぐのか。
 幼児教育の現場では実践と理論を絶えず更新・生成する。幼稚園では、「子どもたちの思いが反映されるのは椅子の位置と色塗りのデザインぐらい」であり、「子どもたちの遊びの範囲を超えて」いたと、「でんしゃづくり」に矛盾を感じ始めた。藤田尚子は、「でんしゃ作りをなぞるのではなく」、「子どもたちの関心に寄り添いながら子どもと作る保育の原点」を小松実践から受け継ぎたいと述べている(『生活教育』2015年7月号)。
 親子の間でも世代つなぎは行われている。私たちは、「困った子」は「困っている子」という子ども観を「子どもは発達現実態である」として十分に深めてきた。そして、子どもの背後には親がいるのだから、親への見方を研ぎ澄ますことを課題としてきた。近年、いわれなき非難にさらされて、孤立へと追い込まれる教師が増えている。「困った親」は「困っている親」である、という親子観への飛躍はどうすれば図れるのか。
 鎌倉博は、大人も一緒に学び合ったことが5年生の「農業・食」学習を支えたと述べている。困難な親子関係をも包摂しながら、地域の田んぼでの米作り、稲の観察と収穫、精米と団子作り、出荷センター見学を体験し交流を重なることで、収穫祭と米学習を伝える会を親子で開催することになった。(『生活教育』2015年5月号)
 教師もまた人の親である、という視点は重要である。寺田健太郎は、息子の「読み書き障がい」に寄り添いながら、学級担任や通級指導教室の担当者や学童指導員と合理的配慮についての話し合いを重ね、息子の成長を支える合意を形成する中で、父親としても教師としても成長したと述べている(『生活教育』2015年6月号)。
 「その子らしさ」と「その人(=教師)らしさ」が認められてこそ学びの共同体は築き得るが、成績・教員・学校評価は「その子らしさ」や「その人らしさ」を奪いかねない(藤本和久論文参照、『生活教育』2015年2月号)。評定目線ではなく、伴走者としての立ち位置をどのように獲得するのか。評価の持つ暴力性を自覚しつつ、これらから身を守る方法の一つとして、『生活教育』の連載「ヤング日生連 学生と若い教師のページ」が続いている。執筆者の多くは、浦島清一編集長を軸に世代つなぎを促すネットワークへの参加者である。

4.他者とつながる
 子どもたちとって放課後は、今日と明日をつなぐ時間であり、学童保育は放課後を生かす貴重な場である。「『放課後』は、課題から解き放たれた時間であって、基礎的な生活(遊び、休息、宿題、捕食)を送る時間」である(飛鳥井祐貴インタビュー、『生活教育』2015年3月号)。
 学校時間と放課後の違いを尊重しつつ、教師と指導員に共通する実践への視点を深める試みが始まっている。竹沢は次のように提案している。子ども理解を基本に、人格形成の一コマを切り取り、集団で意味づけ、主観で切り取り客観で詰め、具体的な事実をもって書くこと。自分の実践を報告し、同僚間で意見交流し、異質な他者との交わりの中で実践記録を書くことによって実践の主体者が育つ、というプロセスを可視化したことの意義は大きい(竹沢清+井原あどか+村岡真治による実践研究、『生活教育』2015年7月号)。
 貧困家庭が激増している。発達障害を抱える親子関係にも困難が降りかかっている。複合的な要因から生きづらさを抱えている子どもと親の生活を、関係者が意思疎通を図りながら、持ち味と役割を発揮しあって支える実践が切実に求められている。堀江理砂は、地域の保護司やスクールソーシャルワーカー、児童相談所との関わりを求め、指導方針を子どもたちにも伝えつつ実践を進めた(『生活教育』2015年1月号)。
 生徒一人ひとりの「気になるカード」に複数の目を効かせた、京都府立朱雀高校での「サポートワーキングチーム」の実践もまた、問題解決の方向を示している(『生活教育』2014年11月号)。パネルシアターづくりの過程で専門家の助言を得た経験は、長期的な視野を持った教材研究に有益であった。ゴミや水の学習というメジャーな単元において、子ども理解と「循環」というキーワードをもって両単元をつなぐ視点を発見した。(『生活教育』2014年10月号)。
 他者との出会いをきっかけに、私たちは交流を深め、自己変革を遂げつつ相互に発展する道を選ぶ。重要な他者との出会いから新たなつながりを産み出し、実践と研究の確かな足跡を刻む東京集会としたい。

5.希望を紡ぐ
 先行世代の経験を私たちの言葉として着実に継承し、合わせ鏡であり異文化でもある他者を肯定的に受けとめ、自由で自治的な土壌のもとで想像と創造を存分に働かせれば、希望の未来を描きうるのではないだろうか。絶望と怨念から発する表現こそがヘイトスピーチだとすれば、ヘイトスピーチは自由と自治の土壌を破壊する行為であって拒否しなければならない。しかし同時に、敵対意識が産み出される仕組みをとらえることも重要である。
 石渡延男は、アジアの中の日本の未来を見通して、同一を求め異質を排除する思考を乗り越えた異文化理解教育の重要性を提起している。すなわち、多面的複合的思考力、負の遺産を持った未来志向、友好の視点、敵対意識を助長せず相互理解へと至る教育である(『生活教育』2015年3月号)。
 戦後80年を見通す生活教育は、破局への芽を摘むという新機軸を内包した平和教育でもある。これからの平和教育は、非戦の哲学にもとづき、貧困や生きづらさから免れ、宗教的寛容を保ち、被災からの物心両面の復興をめざし、学力競争による社会的亀裂を修復し、評価と罵倒によって被った関係者の傷口を癒やす総合的な取り組みとならざるを得ない。生活教育は、身近で些細な事実を取り上げて、人々をつなぎ、ホンモノの学びを組織することによって、未来を想像し、希望の回路へとつなぐ表現を産み出して、次代をデザインしようとする。
 『生活教育』には、「鳴瀬だより」と「大熊だより」が交互に連載され、被災地の教師や子どもたちの息づかいを伝えてきた。未来の語り部たちは、次世代にバトンを渡してゆく平和の砦となるだろう。徳水博志は、復興に生きて働く社会参加の学力を提案してきた。その内実は、ホンモノ体験(連続的な問いと人物との出会い)、心のケア(意志の再獲得)、被災体験の継承(語り部の創造)である。
 希望を紡ぎ出し発信する東京集会としたい。
おわり 20150718up+0720+2次案0730