→愛知集会のページに戻る

日本生活教育連盟 第62回夏季全国集会大阪大会 2010基調報告(案) HP版

 今こそ生活教育の実践を語り、書き、分析し、学び、広げよう

  -《つながり》を深め豊かにして《ひとつながり》のものを発見しつくりだそう-

日本生活教育連盟研究部

 ※ 本稿は、『生活教育』版(2010年8月号 pp.90-95)への注釈加筆版としてつくった『生活教育通信』版のレイアウトをかえて、注釈を本文中に入れてHP用にしたものです。

 

1 意味づけを待っているたくさんの教育実践がある今の歴史的段階

  生活教育の創造的な実践が日々全国でねばり強く取り組まれている。目の前にいる子どもたちの声をしっかり聞きながら展開する、授業、総合学習、特活などは、学校の外にもつながり、地域や社会づくりを展望する社会的実践にもなっている。(注1)

  日本生活教育連盟は創立60年をこえ、豊かな実践と理論を分厚く積み上げてきている。例えば、戦後の教育実践史という大きな観点で日本の教育を見たとき、日生連会員の実践や人生を取り上げることが学問的にも必要不可欠なこととなっている(例えば、金森俊朗と竹沢清。田中耕治編『西條昭男・金森俊朗・竹沢清 実践を語る-子どもの心に寄りそう教育実践』日本標準、2010年)。

  日生連会員の個々の教育実践は、孤軍奮闘に見えるようなときであっても、それぞれがつながりあって《ひとつながり》の大きなものをつくりあげている。4月に若狭蔵之助が亡くなった。会員メーリングリストで、何人かから即座に、自分への影響、学んだことが語られた。教師主体から地域主体へ、そしてさらには子どもたちをこそ主体とみていく教育実践の創造は、その都度苦しい自己改革を迫るものでもあり、その厳しさと、それから新しく生み出された実践の確かな説得力が全国の仲間をはげました(若狭『フレネへの道 生活に向かって学校を開く』青木書店、1994年)。

  今課題としたいのは、これまで積み上げてこられた教育実践や現在進行形の実践のもつ深い意味・価値を明らかにして《ひとつながり》のもとしてつかみ直していくことである。たまたま挙げた金森俊朗、竹沢清、若狭蔵之助の3人に限らず、会員一人一人の実践について、教育研究者や教育実践者がペスタロッチ、デューイ、セガンなどを研究し学ぶのと同じ姿勢で研究され学ばれるべきだし、生活教育はそれだけの豊かな意味と価値をもっている(注2)。

  日生連の年配の会員が次々定年などで教員を退職している。各自が自分で「総括」することに加え(中河原良子『じゃんけんぽん 子どもと一緒に あいこでしょ-子どもの育ちが見えてきた-』ルック、2009年)、相互に、あるいは日生連あげての研究が必要である。ほとんど手つかずの領域であるが、日生連外部の研究者なども巻き込んで、取り組みたい課題である。また、退職して、今度は大学や教職大学院の教員となって活躍している場合も多い(例えば、中妻雅彦、山岡雅博、浦島清一)。これは、日生連の教育実践者が、自分の実践をすでに日頃から相対化し、また実践を支える背景にまで力を尽くしてきた力量が社会的に評価されたからこそである。日生連としても、生活教育の意味と価値をあらためて高い次元でまとめ、次世代の教員・大学生に、大学や大学院の制度の中でも伝えていく歴史的段階に入ったことを意味する(注3)。退職者には、若手教師の《添え木》としてサークルや分科会で世代としての出番があることを研究部から提起してきたが、日生連会員には退職してからも大きな夢のある仕事が期待されている(注4)。

 (注3) 生活教育の中の大学の位置づけは、2006年頃から、総合学習とゼミの話で、小学校と大学の親和性が感じられ、話が弾む経験を持ったところから新しい段階に入った。2007年東京大会、2008年京都大会では、プログラムの前後の企画外企画であったが、大学での教育実践の交流を行ないはじめた。現在では、《オキュペーションズ》として、学級→ゼミ→地域→社会、と《ひとつながり》のものととらえるようになってきている。それから、小学校退職教員による大学教職課程での非常勤講師としての実践がひろがり(例えば、小川修一、森川紘一・10月号)、現在は退職・転職して大学・大学院の専任教員のポジションを担っての実践が展開する段階になっている(山田隆幸も)。大学講師の会(佐伯洋・10月号)など、大学での取り組みを教育実践として交流する取り組みも広がっている(先駆的には田辺基子実践)。作文や綴り方→コメントペーパー、学級通信→講義通信、学級内クラブ・部活動→自主的サークルやゼミ、というように教育実践的なところでの《つながり》の発見と実践化がすすんでいる。同時に小学校と大学でのちがいが課題となっている(学生の書いたもののとらえ方や、いわば「系統課程」として90分(×10数回)話しきる内容をもった《講義》のあり方など)。これらの大学での新しい教育実践は、大学の公開講座(慶応大学教職課程センターなど)や、大学とサークルの合同研究会(石川サークルと上越教育大学・5月)、日生連企画と講義の連動(秋の生活教育講座、春の研究集会など)とともに、新しい《ひとつながり》の教育を生み出しつつある。

 (注4) ベテランの教師・退職した教師には、卒業した子どもたち(「教え子」)とかつての教育実践をふりかえることができる(浦島・5月号)。研究部でも2年前から意識して取り組みはじめている(横田文夫・2009年4月号)。

 

2 《つながり》を深める

  このような豊潤な実践群は、ここ数年、《つながり》ということばをキーワードにして、お互い響き合い、共感し合われ、励まし合うものになっている。

  《つながり》は、子どもと子ども、子どもと教師、子どもと地域の大人など、人と人のつながりであり、自然や実物・本物などモノとのつながりであり、過去と現在と未来の時間のつながりであり、また、表現など意味と意味のつながりでもある。理解された子どもの内面と学びの手だてのつながりでもある。《つながり》は、空疎な概念でも中味のないスローガンでもなく、日々の多くの教育実践に根ざした豊かな意味をもっている。今日生活教育の実践を広げるにあたり、これまで、関係、文脈、連関、総合、系統、集団づくりなどのことばで議論されてきたことを吟味しつつ、日生連での豊富な意味の蓄積を整理し、理論化し、さらに深めることが基本的な課題となっている。

  《つながり》の意味のあらたな発見、新たな創造によって、それぞれの実践のもつ意味がしっかりとらえられれば大きな《ひとつながり》の流れの中でさらに自信をもって実践をすすめていける。現実の教室が、学校が、社会が変わっていく。《つながり》の教育は、人と人、人と自然、人と認識などをつなげていくが、今日、「新自由主義」などによる社会荒廃、国家主義的再編、環境破壊など、つながりを断ち切ったり、他とのつながりが取りにくいにせの「つながり」がはかられたりする社会情勢のなかで、私たちがつくりだしてきている現実は、次なる《ひとつながり》の学校、地域、社会づくりの確かな足場としてとらえられるし、そうとらえることが大切になっている(注5)。

  特に若い教師との《つながり》には、豊潤な意味と価値をもつ教育実践を語ること、教育実践の豊潤な意味と価値を語ることが現在とりわけ重要である。教員養成においてもプログラム主義とでもいえることが横行し、指導案にしても指導計画にしても、固定的画一的な評価項目にむけた「フォーマット」がないと何もできなくなる傾向がでてきている(注6)。2009年沖縄大会は、研修として参加する若い教師が目立ったが、「あっ!こんな教育もあるんだ」と紹介する会員に対して、「あっ!こんな教育をしてもいいんですよね!」という反応が多かった。教育の自由の尊さと可能性をあらためて実感し、責任を伴いつつも教育を創造していける夢と希望と喜び(それこそ「本来」のあり方だ)を思い起こして受けとめてくれた。

(注5) 私たちは教育実践を大切に《ひとつながり》の現実をつくりだしてきている。これを妨げるものに対しては、たたかわざるをえない。そのたたかいは、現実の中で現実を変えていく、制度の中で制度を変えていく、ていねいでねばり強いものであり、そして長期的には楽観的なものである。妨げているものの正体を正確につかみ、ていねいに《次の一手》を考えて、しっかり《つながり》をつくっていくこと(《ひとつながり》とは《連帯》《団結》ともいえる)がすすんでいる。校内研究を活かした金田一清子報告(5月号)など参照。

 教員免許更新講習には、会員も受講者として参加したほか、講師としてかかわった会員も多い。その取り組みでは、参加者の教育実践のとらえかえし(反省)と交流、子どもの見方の深い把握などが高く「評価」されたが、これこそ、更新制という制度ではなく、教師の志を信頼した自主的な取り組みへの促進・支援にするか、金田一報告の校内研究のように、既存の制度の自由化(主体化)で行なわれた方がよいということを実践的にも証明することになったといえるのではないか。

 新しい『学習指導要領』の教育がすすんでいる。日生連は、『学習指導要領』作成段階から提言を行なってきた(「学習指導要領改訂への常任委員会声明:学びのつながり広がりで活きた知性を育てる学習指導要領を望む」2007.12.7やパブリックコメント)。声明では、以下の5つの柱を掲げた。

  1 子どもの現実から学習指導要領改訂の必要性と必然性を示してほしい。

  2 「生きる力」とは人間の根幹に関わる力。人間性の本質が育つ教育課程を示してほしい。

  3 本物の体験を重視し、実感のある「学び」がつながりひろがる教育課程を

  4 教える喜び、育てる喜びをつくる教育課程を

  5 内容を固定した授業時数増の学習指導要領改訂をやめて、現場からの教育創造の芽を伸ばす教育課程の創造を

 そして、「『授業時数増と総合学習削減の学習指導要領改訂』は、まさに、子どもへの『詰め込み教育』と教師の『教育づくりの自由削減』への道をひらくことにつながるでしょう」との危惧を表明した。1学期が終わった今、実施状況を子どもの成長・発達、教師の教育の自由と創造性の発揮の点から、あらためて検証し、「被害状況」をつかんで「2次災害」を防いでいくとともに、厳しい制度のなかでの《次の一手》の取り組みを見つけ、評価し励ましていく必要がある。

(注6) 例えば、横山尤子(4月号)。この「それってどうなの?そこが知りたい!」シリーズは、あたりまえに思ってふさいでいた教育への扉をひらき、生活教育と特に若い教師をつなぐ記事となっている。

 

3 一つ一つの教育実践をていねいに検討し、豊富な意味を汲みだそう

  研究部では、一つ一つの教育実践報告、教育実践記録をていねいに、また集団で多角的に検討することが活動の基本であると考え、毎月、『生活教育』の「ともにつくる生活教育の実践」コーナーの教育実践を検討し、研究部としての「コメント」を掲載してきた。

  『生活教育』編集部や東京サークルなど、また常任委員会でも、そのような『生活教育』の合評に意識的に取り組んできた。日生連の教育実践への確信こそが、より充実した雑誌、企画を生み出す原動力となっている。

  研究部の「コメント」では、教育実践、とりわけ日生連スタイルの実践記録をどう読んでいけばいいかの1モデルとなることも意識している。なかなか不十分だが、執筆者とのやりとりをして相互の問題意識の交流をはかる努力もしている。「コメント」に反応があるととてもうれしい。

  研究部での実践記録の読み方はもちろん多様であるが、子どもの成長の姿をおさえながら、その実践のもつよさを、場合によっては実践者もあまり意識していないかもしれないすばらしい意味や価値を見いだして指摘するようにしてきている。会員の教育実践を紹介し励ましたいと考えている。

  とりわけ、岸康裕さんの特別支援学級での実践(『生活教育』2010年1月号、加藤博之さんの生活科「秋の実」(2010年6月号)は、いろいろなことと話がつながって、《ひとつながり》のものが生まれてくる手応えがあって、研究部での話がとまらない状態だった。

  このような機会が、サークル、研究会、研究集会、分科会などで、そしてそれが読者会、職場などにじっくりひろがり、継続していくことを期待している。会員メーリングリストやホームページの掲示板のいっそうの活用がのぞまれる。

  それから、実践記録(注7)を読んで、「書いていないこと」「書かれていないこと」「書けなかったこと」に想像力を広げるためには、書いた本人に直接聞いてみる経験が必要である。当人があまりにあたりまえと考えて書かなかったことこそ意識すべき大切な原則であることもあるし、簡単には割り切って書けなかった子どものもつ成長過程の複雑さなどじっくりきかないとわからないことも多い。そのために、サークル、研究会、研究集会など、直接当事者に詳しく話が聞ける機会は、会員の積極的な活動の場として意義があるのである。

4 いくつかの教育実践のつながりを考えることで、深いところで共通にもつ意味や原理を考えよう

  一つ一つの実践記録を大事にすることに重ねて、いくつかの実践をならべて検討し、深いところで共通する《ひとつながり》の教育の原理や原則を確認・発見・整理することもすすめていきたい。これは生活教育の理論をつくっていく基礎作業でもある。

  『生活教育』の特集テーマ(注8)に関連する実践群などをていねいに検討しまとめる作業が、三村和則(2009年8月号・教育実践)、竹沢清(9月号・子ども理解)、渡辺恵津子・関忠和(2010年2月号・算数数学)、行田稔彦(3月号・平和教育)、加藤聡一・田村真広(4月号・学級集団)、田辺基子・船越勝(6月号・つながり教育)らによっておこなわれてきている。実践によって原理・原則を語るということは、原理・原則を具体的な実践例を元に語れるということになる。

  これらのまとめと結節点として、ここ数年の夏季研究集会の基調報告(田村真広・2009年8月号)は、一年間検討してきた多くの実践をいくつかの原理・原則の柱立てで整理して意味づけて問題提起をしている。夏季研究集会の各分科会の「討議の柱」はその詳しい具体化ともいえる(そういう全体と分科会が《つながり》のあるテーマ設定になるよう努力を重ねてきている)。

   そして、『あっ!こんな教育もあるんだ 学びの道を拓く総合学習』(新評論、2006年)や『いのち輝く つながりが生んだ本物の学び』(ルック、2008年)は、数年ないし十年にわたる『生活教育』の実践記録から多くの実践を採り上げつつ、原理・原則を柱立てて章とし、それに「ナビ」「まとめガイド」をつけて原理・原則の内容を説明している。

  『いのち輝く』では、

    第1章 「困った子」は、「困ってる子」

    第2章 なかまと“つながり”学びをつくる

    第3章 易しいことは、深いこと

    第4章 自分が見え、世界につながる学び

  と、大きく四つの原理・原則をたてている。

  それから、ある原理・原則にまとめられた教育実践について、ほかの原理・原則を視点として検討することをすすめたい。それによってまた新しい《つながり》が発見できるだろう(注9)。

  これは、夏季研究集会の《分科会》に参加する時も気をつけてほしい点である。日生連の分科会は、相互に壁があるのではなく、つながってひとつながりのものになっている。分科会は全体のテーマをケーキのように切り分けたものではなく、いわば細胞が集まったようなもので、それぞれが全体のテーマをになってたくさんの要素を揃えてもって自立しつつも、重点的な特徴を持つ点で相互に区別されるのである。発表する分科会での特徴が報告には色濃く出るものの、前後の教育階梯や他の教科、子ども理解のあり方、評価や父母との関係など、他の分科会での視点も豊富に含んでいるのが生活教育の実践の特質だし、検討する際もそのような総合的な《ひとつながり》の視点がでてくることが面白い。(注10)
 

 (注10) 既存のものを意味づけることに加えて、新しい《つながり》もつくりだしてきている。(1) 大阪大会では、学童保育との《つながり》が強く打ち出されているほか、ソーシャルワークとの《つながり》も追求されている(ともに冬の研究集会でも位置づけていた)。また、(2) 「教育改革」が、学力・しつけ・体力に偏るなか、文化・芸術との《ひとつながり》の教育を意識してつくっていく必要もある(例えば、劇:竹内真知子・3月号、音楽:加藤愛子・4月号、美術:今給黎博子・7月号など)。それから、(3) 国際理解についても沖縄大会より分科会が新設され、これまでのアイヌ文化、沖縄文化とのつながりをふまえながら、異文化の理解と共生にテーマが深まり、今年は「異文化・国際理解教育」分科会と名称を進化させた。個人や集団のあり方も異文化理解としてとらえる実践もはじまり(田村真広)、《ひとつながり》のものができてきそうである。

 

5 独自に学ぶ教育理論(哲学)と照らして、実践の意味を歴史的に考えよう

  生活教育では、理論が実践と深く結びつきつながっていることを重視すると同時に、理論は理論で相対的に実践とは切り離して独自に学ぶことも軽視しない。「三層四領域論」でいえば、「系統課程」の独自の位置と意味と同じである(注11)。

  山田隆幸(10月号)や横田文夫(7月号)のように川合章の生活三つの層論や自立論などが紹介・参照されることもあるし、外山英昭(4月号より連載)のように自らの研究の歩みと重ねて生活教育の理論の紹介・整理もすすめられている。

  デューイ研究が盛んな1年でもあったが、生活教育との理論や実践とのつながりで考える試みもある(加藤聡一・5月号和田仁の書評本『西洋の教育の歴史』ミネルヴァ書房、2010年)。

  日生連とゆかりのある2月の東京ペスタロッチ祭では、毎年、ペスタロッチ、フレネなどの教育思想が検討されている(5年目の今年は古沢常雄の講演)。教育学の原典や若手の教育思想研究を検討する「梅根悟研究会」もこのところ開店休業状態だったが、再開が期待される。


(注11) 理論研究に加えて、社会情勢の分析をすることも独自の課題だが、充分取り組めていない。社会問題の検討と社会像の模索は、日本学術会議提言「日本の展望 学術からの提言2010」(4月)、産業構造審議会産業競争力部会報告書『産業構造ビジョン2010』(6月)、『新成長戦略〜「元気な日本」復活のシナリオ〜』(閣議決定・6月)、各政党選挙公約(マニフェスト)などの分析が必要である。教育政策についても、政権交代や今後の混迷状況も覚悟しながら、ていねいな検討と把握が必要である。

 

  1982年の大阪集会からつながってきた横断幕。ひとつながりを生み、またあらたな出発となる研究集会にしていこう。

2011.5.27up