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日本生活教育連盟第60回夏季全国研究集会(2008年京都)

基調報告(案)「ともに生き、いのち輝く学びの60年」
田村真広(日生連研究部長){『生活教育』(2008年8月号pp.86-91)のHP化版 2008.7.26up}

1 「困って」いるから、仲間とつながって学びを創れる

2 「普通」ではなく、ありのままに自分らしく生きる

3 易しいことは深いこと

4 子ども−親−教師の〈つながり〉の中に取り戻す

5 「自分」が見え、「世界」につながる学び

6 60年目の果実;添え木、おとなの学校、他職種連携、大学教育etc.

1 「困って」いるから、仲間とつながって学びを創れる
 「文化部で運動してもいいん? 」 文化部としてマット運動に取り組むのは変でしょうか。変じゃない。子どもの中にすでに答えはあったのです。「いいんだよ」という浦島先生の相づちが欲しかっただけではないでしょうか。(浦島清一「文化部の活動を通して見えたこと」『生活教育通信』103、2008年4月)
 ……「課題」をいっぱい抱え込んだメンバーが集まって文化部はスタートしました。文化部の活動は次のようなものです。
 (1) それぞれがやりたいことに挑戦する活動です。絵を描いてもいいし、本を読んでもいいし、運動してもいい。
 (2) みんなが参加し分担して成し遂げる活動です。マフラー作り、ケーキ作り、炭焼きと協力して取り組むのです。何かを決めるまでにかける時間を大切にしています。
 (3) 生徒会からの依頼を受けて行う活動です。体育祭スローガン掲示、文化祭バックスクリーン作りなどです。
 「困っている」中学生たちが、仲間とつながることで助け合い、学び合っています。浦島実践から学びたいことは次のことです。第一に、できないことができるようになりたい、と思ってきたけど、あきらめてきた子どもが多いことです。第二に、経験したことのないことでも挑戦してみると、何でもそれなりにやれるようになっています。「それなりに」が鍵で、少しでもできるとやる気を表に出してくるのです。第三に、仲間とつながることで自分の力を発見しています。仲間や大人に支えられて成し遂げ、自信をつけています。第四に、支えるおとな同士もつながっていることです。浦島さんは、学級実践だけでなく、部活動と生活指導を支えるとともに、地域を良くする活動にも参画しています。 上に戻る

 

2 「普通」ではなく、ありのままに自分らしく生きる
 「おとなしくて、めだたなくて、まじめ」だったという「普通」の若者が続けざまに通り魔事件を犯しました。彼らは、高校から仕事への接続でつまずきました。目立たず無難な学校生活は送ったものの、卒業後は腰を落ち着けた生活を見つけられなかったようです。犯行時に、「自分をリセットしたかった」と破滅願望を抱いていました。重大事件に至るケースは稀ですが、今、「死にたいと思ったことがある」とか、「人を傷つけたいと思ったことがある」と答える子ども・青年は、各種調査でも増えています。彼らの心象風景は、通り魔事件を犯した彼らと重なる点があるのではないでしょうか。
 格差が広がる現代社会では、安定した未来を描きにくくなっており、苦悩しもがく子ども・青年は少なくありません。しかも、子どもの自己肯定感が低くなっている事態は、おとなからは見えにくくなっています。自己責任論の内なる声に封じ込められ、幼少期からおとなを気遣って困らせないように生きてきたからです。日常は「普通」の振る舞いに自分を隠し、ある時に脈絡なく「荒れ」として吹き出したり、「引きこもり」「自傷」といった内面攻撃に出たりするのです。
 社会の中で「普通」に安定を得るのは難しく、絶えず周囲と比較しなければなりません。子どもたちは、「落とされる」、「突き放される」ことへの不安とたえず直面させられています。比較しなくても、ありのままに自分らしく生きられればよいのだという生き方の指針を、おとながはっきりと示さなくてはなりません。
 青年ユニオンの活躍を伝える『生活教育』の連載「渋谷で今日も待ち合わせ」は、指針の一つとなるでしょう。子どもらが苦悩しもがきつつも、いのち輝かせている姿に寄り添って、つながりを創り学び合うことを、私たちもまた生活教育の名のもとに実践してきたのではないでしょうか。 上に戻る

 

3 易しいことは深いこと
 谷保裕子さんは「オリジナルあいうえおうた」を学級で楽しみ、学級通信で作品を紹介し、保護者同士で讃え合いました。あくびあんぐり・いかがいらいら・うにがうまいよ、、、といった歌です。みそみ小バージョン「大きないも」は、「大きなかぶ」を「いも」に変えた劇です。校長先生も熱演しました。「くじらぐも」は6年生を送る会で上演した劇です。全校に還元した学びは豊穣さを増しています。ある保護者は綴っています。
 「子育てには自信がなく、今なお勉強中です。…大人だけど親だけど子どもとは対等につきあって、心の中も見せています。気持ちを伝え合うって大切だなーって、つくづく思います。」(谷保裕子「文字やお話の世界を広げて楽しむ」『生活教育通信』103、2008年4月、25頁)
 小学生の学びがおとなの心にも響くことがあります。それは易しいことがらの中に深い意味を含んでいるからでしょう。「子どもと一緒に学び直したい」と思える学習は、小学生にとってもおとなにとっても等しく価値あることの証しです。
 伊東裕子さんの6年生の理科「ものの燃え方」の実践も、ハッとさせられるものでした。子ども実験と教師実験を経て討論し、「紙芝居・山田君」で経験を整理して、教科通信『きばりよ』では個人ノートを紹介しています。「燃える」世界をていねいに解き明かしていった実践です。学びの充実ぶりは子どもたちの声が証明しています。
 「燃えたから軽くなるとか重くなるとか関係なくて、酸素が結びついてできたものが気体か固体で決まることがわかった。」、「さびと燃えるって、共通点が多いんだ!。」、「一番心に残ったことは、木が燃えると軽くなること。はじめはナゼ?ナゼ?って思ってたけど、水と油がぬけ、炭素と酸素が結びついて二酸化炭素になって外に出てったからって分かった。不思議です!。でも、意味はよく分かりました。」(伊東裕子「燃えるとはどういうことなのか?」『生活教育』2008年5月号85−86頁)
 コメントを寄せた田辺基子さんは、「燃えるって、実はすごいことなんだ」と日常生活で当たり前の「焼却」が分かっていなかったことを、自らへの驚きをもって表明しています。基礎・基本とは、退屈な反復活動ではなくて、生涯のうちで何度でも学び直しが効くような重要事項と言えるのではないでしょうか。 上に戻る

 

4 子ども−親−教師の〈つながり〉の中に取り戻す
 畑の収穫物(達成したこと)をさっさと換金(数値化)しなければ成果(学力)とは見なせない。「学力向上」の過熱ぶりをこう喩えてみました。収穫物をじっくり味わったり、加工したり、発酵させたりすることは脇にやられてしまっています。これでは「わかった、できるようになった、もっと知りたい」といった学びの充実感と成果とが乖離するばかりでしょう。おとなの焦りが子どもや教師を追い詰めているのです。
 改訂された学習指導要領はこうした懸念に応えるものではなく、教育の停滞を予感させ、不安を増長させる内容になっています。改訂学習指導要領では「学力」と「規範意識」を強調し、「活用力」育成を鍵としました。総合的な学習の時間を削減し、授業時数等で各学校への規制を強化しています。全国学力・学習状況調査や教育振興基本計画とセットになっており、打開策はこれらと合わせて設計しなければなりません。
 旧教育基本法の改正と引き換えに教育振興基本計画の策定が義務づけられましたが、予算は確保されませんでした。教職員定数の改善、教育課程移行期の多忙化対策への思い切った予算措置がないままに、理数の補助教材作成、特別支援教育の整備、ALT・専科教員の配置と教員研修などが実施されようとしています。現場の自助努力と犠牲を強いるのではなく、学校裁量予算を増やし、教材やカリキュラムを各学校の責任で決定できる規制緩和をこそ推進するべきでしょう。
 日本生活教育連盟常任委員会は2007年12月7日に、声明「学びのつながり広がりで活きた知性を育てる学習指導要領を望む」を発表しました。「生きる力」とは人間の根幹に関わる力であること、本物の体験を重視して実感のある「学び」がつながりひろがる教育課程であるべきこと、教え育てる喜びをつくる教育課程であること、内容を固定した授業時数増ではなく現場からの教育創造の芽を伸ばす教育課程を創造すべきと提言しました。10年間にわたる教育改革は、自発的で創意工夫にあふれる教育実践を生み出しました。これらを一律に自己否定するような施策では教育現場は沈滞するでしょう。
 孤立させられ追い立てられて達成した「学力」は脆いものです。なぜならば、その達成が賞賛に値する成果かどうかは周りが決めるからです。周りを浸食(活用)しながらあげた成果は、全体からの支持がないので効果が持続しません。そのような「活用」で成果を競うのではなく、好奇心や驚きを伴った、つながりと学び合いによる達成こそが重要です。かつて「試案」だった頃のように、学習指導要領を子ども−親−教師の〈つながり〉の中に取り戻す発想を持つことがあらためて求められます。 上に戻る

 

5 「自分」が見え、「世界」につながる学び
 齊藤忍さんは、地域の「人」「自然」「産業」に「五感」を研ぎすまし、五年生・総合学習に取り組みました。沖縄県本部産の物集めから始まり、特産品開発プロジェクトへ展開しました。明治時代から始まったカツオ漁は高齢化で存続の危機に瀕しています。子どもたちは漁業組合や市場へ出かけ、自然環境の悪化とエサの消滅、カツオ漁や鰹節生産の話を乗組員から聞き出します。本部産鰹節の見分けや沖縄風味噌汁「ヤッカンミーシンシル」の試食をはさんで、さらに情報を集め、最後には商品開発プロジェクトに取り組みました。丸ごとカツオをさばく子どもたち。プロのおとなの手ほどきを受けながら、九つのグループがそれぞれ試食会までたどりついたのです。(齊藤忍「地域に働きかけ自ら学ぶ;本部発見・発信!」『生活教育』2007年12月)
 地域で魅力的な活動をしているおとなとの出会いは、子どもの学習意欲を沸き立たせるとともに、働くおとなたちをも励ましています。地域起こしから未来の本部町が見えてくる学びとなっているです。
 『一つの花』の授業で、「いいなあ、俺も(爆撃機に)乗って、爆弾落としたいなあ」といった軽口に同調する学級。ムードメーカーであるまさのりの「おれさ、自衛隊入って、戦場に行って、戦車とか飛行機乗るんだ」という発言。堀江理砂さんは「先生は君を戦場には送りたくないな」と返したい言葉を飲んで、息の長い平和教育に乗り出しました。(堀江理砂「戦争は やだから、軍隊はもういいよ」『生活教育』2007年12月)
 米田さんを招いての証言、広島平和資料館から借りたパネル資料の展示。劇の台本作りでは、米田さんの証言を入れたり、調べ学習の発表をパワーポイントで入れたり、学級総出の劇づくりへと発展していきました。じつは子どもたちは、戦争の悲劇って本当の話? と疑っていたのでした。劇の脚本も、教科書教材も、はだしのゲンも、虚構の世界と区別がないものと感じていたのです。こうした子どもたちの実感を度外視して「平和な世界」を唱えてみても、いのちの重さや平和の尊さは伝わりません。やがて子どもたちは、語り部として活動する米田さんの心情に迫っていきます。劇の発表で涙する保護者や教師たちの姿を見て、「本物」の学びを確信したのでした。悲惨な体験・描写は刺激が強く、印象には残りやすいものです。しかし、今を生きる人間(そこに自分と仲間が存在している!)としての輝きが実感できなければ、いのちの尊さを他に伝えることはできないのです。
 教職科目「生活指導研究」を受講したある大学生は、「オキュペーションの発展」を見つけ出しました。田んぼのフナを追究した小学生の調べ学習(谷保実践)は、福井農林高校の環境土木プロジェクトと、若狭町の水田魚道を設置する施策とひとつながりであることを発見したのです(加藤聡一「小学校から大人までの総合学習」『生活教育通信』104、2008年6月)。小学生の実践から、自分の未来や世界とつながる学びを発見した学生は、いったいどのような道を歩むのでしょうか。 上に戻る

 

6 60年目の果実;添え木、おとなの学校、他職種連携、大学教育etc.
 日本生活教育連盟は創立60年を迎えました。年齢から見れば還暦です。現役世代の会員は、60年目の果実を味わえる「恵まれた」世代です。現役を退いた会員は、「介護」等の責務を果たしながら、人生80年時代を豊かに過ごす生活創造に乗り出しています。世代間の多彩な交流が、より豊潤な生活教育実践を育むことになるでしょう。
 教員採用の拡大期は退職教師の出番です。再任用で学校現場にとどまり、若手教員の「添え木」となって実践を展開しているのが中河原良子さんや金田一清子さんです。
 地域から世界につながるおとなの学校が展開されています。中国の山村に学校や学用品を贈る高田哲郎さんらの「里親里子」活動、紙芝居の魅力を海外に伝える野間成之さんの活動などは一例です。おとなの学校では総合学習が持続しているのです。
 教育と福祉・保健・医療との連携は焦眉のテーマです。障害者支援センターで教育・発達相談を受け持つ加藤登美子さんは、発達検査の場面でも生活教育実践が息づいていることを示してくれました。保護者・教員との新たなつながりが生まれています。
 大学教育に携わる会員も増えてきました。東京集会から「生活教育を教える大学教師の集い」を開催しました。大学生の教養教育と教師教育の基礎を探究するために、集いの輪は静かな広がりを見せています。
 世代、業種、異文化・国境を越えて、共生・平和の文化を創る生活教育運動の輪を広げていきましょう。 上に戻る

{『生活教育』(2008年8月号pp.86-91)のHP化版 2008.7.26up}

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